2025年 11月13日
生みの母に会い「人生のピースが埋まった」 特別養子20代男性が明かす実親に伝えたかったこと
様々な事情で実の親と暮らせない子どもを安定した家庭で育てるため施行された制度「特別養子縁組」。縁組しない里親制度とは違い、養親の戸籍に実子と同じように記載され、実親との法的関係が切れる。自分のルーツをたどり、生みの母に会いに行った当事者がいる。AERA 2025年6月23日号より。
今年1月、千葉県の会社員、中村力(りき)さん(23)は東北地方の民家をアポなしで訪ねた。通されたリビングで向き合ったのは、“生みの母”だ。想像より若く優しそうな人だった。何と呼べばいいかわからず、「あなた」と呼んだ。
「あなたがお母さんですか?」
力さんは特別養子だ。1歳の時、民間の養子縁組団体の仲介で育て親家庭に迎えられた。幼い頃から自分には生みの母がいて、育てられずに両親に託したと聞いていた。誕生日には生みの母から手紙や贈り物が届き、「プレゼントが二つもらえてラッキー」と思っていた。母とのやりとりはいつしか途絶え、「20歳になったら会いに行きたい」と思いながらも行動に移せないまま時が過ぎた。その母が目の前にいる。
生みの母は泣いていた。「私なんて会う価値もない」と謝り続けた。彼女が僕にしたことは、それほど罪深いことなのだろうか──。力さんに生みの母への嫌な感情は一切なかった。会いに来たのは幼い頃のプレゼントの御礼がしたかったのと、どう生きてきたかを伝えたかったからだ。「僕ね、今の家でめっちゃグレたんです。あなたのもとで育ったらグレなかったかもしれないです」。場を和ませようと力さんが言うと、「そんなことないです。育てのお母さんは立派な方です」と真顔で返された。

グレたのは本当だ。小学校高学年で育て親が離婚。ある日学校から帰ると荷物がまとめられ、詳しい説明もなく母と妹と家を出た。3人家族になると母は幼い妹につききりで家ではいつもひとり。「望んでこの家に来たわけじゃないのに。養子になったのは正解だったんだろうか」。大人への怒りや失望、疎外感、うまくいかないことへの苛立ちが中2の夏に爆発した。学校に行かなくなり、壁に穴を開け、家にある預金通帳を燃やした。そんな10代の葛藤を湿っぽくならないように話した。
問いかけに答える形で生みの母も当時のことを少しずつ話してくれた。家族や親戚から猛反対される中で力さんを産んだこと、一度は1人で育てようとしたこと。「生きている間に一目会いたかった」とも言ってくれた。それだけで十分だった。
「まさか会えると思わなくて。アポなし訪問は正しいやり方ではないと思う」と力さんは振り返り、こう話す。「育ての親が離婚して、思春期に荒れて、いろいろあった人生で、養子であることはやっぱり僕の原点なんです。母と会って人生のピースが埋まり、やっと大人になったという感覚がありました」
「生みの母に会いたい」という力さんの思いは、同世代の養子たちとの交流を機に一気に現実化した。2年前、長く足が遠のいていた縁組団体の集まりに参加して成人養子たちと出会い、自分の戸籍から出生時の情報を得られることを知った。特別養子縁組では、子どもが養親の戸籍に入る前に生み親の本籍地に子の単独戸籍がつくられる。子どもは自分の除籍から生み親の名前や本籍地を知ることができるのだ。
「僕もとってみよう」。勇気を出して役所に出向いた。取得に6時間、5400円を支払い得た書類から生みの母の情報を得た。
勤務先の社長にその話をすると「会いに行ったら?」と背中を押され、休日に車を出してくれた。複数の県境を越え、見えない糸に導かれるように対面の時を迎えた。「自分1人では行動できなかった。一生忘れることのできない日です」(力さん)
(ライター、社会福祉士・後藤絵里)
※AERA 2025年6月23日号より抜粋